公開シンポジウム「在宅介護を支えるために」開催報告

 

11月25日(日)、ご家族の介護を長年担われている、仁藤明子さん、松本裕子さんをお迎えして、

第1回シンポジウム「在宅介護を支えるために〜介護者の声から学びを深めよう〜」開催しました。

 

生活を支える看護師の会副会長、自身もご家族の介護真っ最中の石原志津子がモデレーターを務めた、前半のシンポジウム。

一部を抜粋してご紹介します。

 

 

【パネリスト紹介】

 

●仁藤明子さん

柔道7段で、米穀商店を営んでいたお父様が、2000年、トレーニングジムで重いベンチプレスを上げたことにより脳出血を起こし、右半身まひとなり要介護状態へ。リハビリ病院をへて、在宅介護17年目。仁藤さんは3人兄弟の長女で、お母様と共に介護をしています。

 

●松本裕子さん

大阪で一人暮らしをされていたお母様が、1999年に63歳で脳梗塞を起こし、大阪のご実家で主介護者の妹さんを松本さんがサポートする形で在宅介護がスタート。その後横浜のご自宅にお母様を迎え、3年前にご逝去されるまで、主介護者として16年間、子育てと同時期のダブルケアを実践されました。

 



 

石原:選択肢の中で、在宅介護ではなく、施設や病院という選択肢もあると思うが、在宅介護を選んだのは?

 

仁藤さん 選択ではなく、在宅介護以外考えたことがなかった。それは子供の頃、父が自分の母親を献身的に世話する姿を見てきたことが理由の一つ。

 その祖母は後に病院へ入院したが、当時は拘束が当たり前の時代。最終的には褥瘡だらけになって退院させられ、やがてすぐに息を引き取った。父が決めたことではないとはいえ、このことで父は自分が母親を殺したと長年思いつめてしまった。

 また、現在父が当時の祖母のような状態になり、病院へ預けられる=殺されるというトラウマを持ってしまった。私たち家族は、とにかく父に怖い思いをさせたくないという一心で常にそばにいたいと思っている。

 私たちは父の体を治すことはできないけれど、恐怖心を取り去ることはできると思っているので。むしろこれは家族にしかできないことだから。

 

松本さん:大阪の病院で、主治医らから「63歳とお若いから施設はかわいそう、家で看てあげなさい」と言われたことが大きく影響した。とりあえずやってみよう、とスタートしたものの、介護者の家族に問題が生じても「捨てられる」ことを恐れていた母は、頑として大阪を離れたがらなかったので、「捨てないで最後まで看るから」と約束した経緯がある。

 

 

石原:在宅に看護師などが訪問することに対して、抵抗ある人もいると思うが・・・

 

仁藤さん: 家の掃除をしていないことぐらい(笑)で、実際には抵抗はなかった。だが、サービスをフル活用したがために、当初は毎日誰かしらが出入りしていて、それに介護をする側の母が疲れてしまい、途中で少し減らして家族だけでマイペースで行う日も設けた。

 また、マッサージ院や整骨院を経営している父の教え子が入れ替わり立ち代りリハビリやマッサージをしに来てくれたので、すべてにおいてサービスが必要だったというわけではなかった。

 

松本さん:全く抵抗はなかった。介護について無知、子育てとのダブルケアの忙しさ、母の身体の状態に応じてケアをしてくれる在宅チームの存在は大変ありがたく、その援助があるから在宅介護が成り立ったと強く思っている。

 

 

石原:介護が、うまくいかなかったことは?

 

松本さん:ほとんどそれはなかったけれど、サービス担当者会議の存在を途中で知り、ケアマネに問い合わせたら、安定しているので開催していなかったと言われたことがある。

 介護している家族の状況の変化を考慮して、その変化を見逃さないでいただきたいと思う、家族は看るのが当たり前と思われていることと、時間的な拘束、外出制限など、ストレスはかなりかかっている。

 

仁藤さん:うまくいかなくなりそうになる前に先手を打って質問したり、要望を支援者に言ってきたから問題になることはなかった。

マニュアル通りではない、父だけにとって快適な介護方法がある。それを、認めてほしいと思った。

 

松本さん:母の場合もマニュアル通りではなかった。一人一人違うケアがあり、失敗を責めるのではなく、次のケアに生かしてもらいたいと思った。

 

 

石原:在宅介護を辞めたいと思ったことは?

 

仁藤さん:在宅介護を辞めたいと思ったことはなかったが、介護が終わってほしいと思ったことは最初の頃はあった。でも、介護が終わるということは死を迎えるということ。4年前誤嚥性肺炎になった時、初めて父の命が終わるかもと思った。それまでは「いつまで続くのだろう」と思っていたのに、「あ!いつか必ず終わりが来るんだ」と初めて思った。今は、終わってほしくないと思っている。

 

松本さん:長い介護、終わりの見えない介護に自分の人生が閉ざされ、先が見えず、介護による家庭内の歪みに疲弊し、全て投げ出してしまいたいと思ったことはあった。

 亡くなる10ヶ月程前から、一気に悪化していき、その時々の選択の中で医療行為が増え、家族にかかるケアの負担に不安を持ち、ケアマネから施設の選択もあるのでは?と勧められて揺らぎもあったが、母の意向に添って、最後まで在宅介護を遂行した。

 

 

石原:グリーフケアについてどう思うか?

 

松本さん:介護がなくなり、ぽかんと心に穴が空いた。在宅チームが誰も来ない生活となり、改めて16年間、介護が私の生活であり、それに支配されていたことに気づかされた。それは家族も同じであった。

振り返ると、家族に負担や犠牲を強いてきたかもしれない、その思いと、在宅介護を経験した家族にとっても、在宅チームが支えてくれた存在は大きかった。

 帰省する毎に気にかけてケアに来てくれた、大阪の理学療法の先生の支えはとても心強かった。その先生から、母が亡くなった後、私たち姉妹への労いの言葉は嬉しかった。

 グリーフは家族の中でも温度差があり、それは時を重ねて癒えていくものだと実感している。ただ現状では、家族のグリーフケアまで行われていない事が多く、今後の課題ではないだろうか。

 

 

石原:支援者に伝えたいことは?

 

仁藤さん:私は素人で、育児もしたことがないのに、いきなり介護が始まった。手探りというより情報をどこから採ったらいいのかもわからなかった。今までは、主治医やケアマネまかせの受け身だったが、勉強会に参加するようになって、こちらからも積極的に質問や提案をするようになった。素人だけど油断できないと思わせている(笑)

 

松本さん:介護中に介護についての学びは、在宅チームから教わってきた。

何故、私はこんなにも長い介護なのか? 介護をする意味は何なのだろう?

 答えの出ない問いにずっと自問自答してきた。今言えることは、家族のケア(介護も子育ても)をする役割を終えて、この経験は、今後の残りの私の人生に何かをもたらすだろうという事。それは、介護経験の話をする機会であったり、離職せずに細々と繋いだアロマセラピストとしての活動であったりと、介護の経験は意味があり無駄ではなかったと思っている。

 

石原お二人の話を聞いて、同じ家庭はないと思った。マニュアルはあっても答えはないし、介護もそれぞれで、それに寄り添うのが生活を支えるということだと思う。改めて、在宅介護とは、生活を支えるとは何か、考えてみたい。

 

 


 

 

後半は6グループに分かれて「あなたにとって在宅介護は?」についてディスカッションしました。

各グループの発表をご紹介します。

 

 

 

 

2グループ:

  • その人らしさって、どんなことだろうとカテゴリーに分けた話が進んだ。
  • その人が自由であること、言いたいことが言える関係構築、甘え上手になるなど
  • その人らしさを保つために、食べたいものを食べることができる、一緒にいたい人といることができる、助けてって言える など
  • 在宅生活しているその人のその人らしさを阻害するものに在宅の情報がない、制度や決まりがわかりにくい
  • 家族はその人の歩んできた歴史がある それを良好に保つためにはそれが大切
  • 生きたようにしか死ねない 立派に死ねるようにいい関係を保ちたい

 

6グループ:

  • 在宅介護ではいろいろな問題がある。
    部屋がない、経済的負担、自分の時間が取れない、尊厳の維持 不安が続く(何年続く?)

    自分の中に天使と悪魔がいる 心の不安
  • そんな問題を地域サービスや専門職とうまくとればよいのではないか
  • 重装備しないで、枯れるように死ねたらいのでは。
  • 亡くなるのは人生の最後だし自然のことだよね
  • 看取る側の家族の気持ちは大切

 

4グループ:

  • 介護する側・される側両者の思い。そこに関わる関係者の思い。介護する上での身体的・心理的な思いの軽減
  • 入り口はケアマネ その方がどんなふうに介護計画をつくっていくのか
  • 介護サービス提供者側の資質が大切ではないか
  • 医療は治す医療から維持する医療へ 
  • 本人と家族のかかわりの中で、家を片付けたいという本人の思いがあるが、それをいつ話すのかタイミングは?どんなタイミングで自分の思いを家族に伝えるのか・・・
  • エンディングノートもなかなか書かれることが少ない
  • 家族に思いを伝えることの大切さ 

 

7グループ:

  • ネガティブな意見 心も体も不安 年中無休 しんどい しんどい 誰からも教えてもらわないことをやらなければならない 閉塞感 近所にそういう人がいれば・・・自分たちだけで抱え込んでしまう 肉体的・精神的不安は付きまとう
  • たいせつなことは何か・・・勉強会で知識を深める 家族間の連携が必要 きづなが生まれてくる
  • 介護の良いところは絶対にある
  • 人生の一番輝く時間 それを輝かせるために何をするのか死生観 家族と介護を通して普段話せないことも話せたりもする
  • すごいと思うかもしれないけど、介護は日常生活
  • 介護とは仕事です 仕事があるから家族は救われる 
  • どういう人に看取ってもらえるかが縁それで、最期がきまる その縁をつくっているのが生活を支える看護師の会では?

 

5グループ:

  • 本人の幸せ本人らしさを支えていきたい
  • 介護者の負担はある。労力は減らさないといけない
  • それをさせる地域の社会資源、地域によって支える力がない場合もある
  • 家族が見れないということもある 家族の時間もある 施設もあると思うので、損方の生きがいを保ちつつ、
  • 環境整備は大切。ベッドで寝ていると天井しか見られないのできれいに
  • 通過儀礼なので、意味や意義を学んでいかなければということではないか

 

3グループ:

  • 困難から考えてみる 本当に望んで在宅介護という人だけではない
  • 思っていた現実と理想のギャップがある人もいる
  • 女性の負担も大きい、家族によって負担も異なる
  • 国民教育の必要性 元気な一般の人たちにどんな風に介護を知ってもらえるか
  • 医療保険と介護保険だけで支えるの? 上手に医療を選択できているか?
  • 当時者になる前に考える必要があるのでは?
  • 生き方を支えていき連携というものの中で思いをはせる
  • よいにしても悪いにしても医師の一言は大きい。在宅を支えていく医師が必要。
  • 介護を受けるほうも作っていくほうも価値観が大切
  • 支える側はその地域を知る、専門職種だけで支えるのは違う

 

 

最後に東北大学の村田裕之特任教授に、ご講評いただきました。

 

 パネリストのお二人とはお友達だが、家族介護について今まであまり聞いていなかったので、今回参加できて本当に良かった。

 私自身も9年前に母が脳梗塞で倒れ、今も在宅介護を続けている。私は直接介護しているのではなく、新潟の兄夫婦が介護しているが、大変さを共有してきた。私は、若い頃から認知症に関する研究をしてきたましたが、その頃はまだ他人事。母が倒れてやっと自分のことになった。

 親が70歳になった時に読む本を2011年に出版したが、介護は直面しないとわからないものでもある。学ぶ機会をもっと増やす必要がある。生活を支える看護師の会は当事者が多いので学ぶ機会としてはとても良いと思う。引き続き頑張ってください。


 

勉強会、学会などたくさんのイベントがある中、総勢40名近い方が集まり、「在宅介護を支えるために〜介護者の声から学びを深めよう〜」を開催することができました。

パネリストとしてご登壇いただいた、仁藤さん、松本さん、ご参加いただいたみなさま、応援してくださった皆様、ありがとうございました。

これからも「生活を支える」をキーワードに、皆様と作り上げるイベントを開催してまいります。